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派遣切りと農業回帰 [時事・社会]

会社の雑誌捨て場にたくさん捨ててあった「WiLL」という雑誌をなんとなく読んでいた。

今月は派遣切り特集。

その中で、曽野綾子という作家のエッセイで、「おおっ、なるほど!」とうなる興味深いハナシがあったので紹介。考えてみれば至極あたりまえの話なんだけど、とても説得力があった。

作者は、三浦半島の海沿いの農村地域に住んでいる。最初は執筆ばかりしていたが、あるきっかけで畑仕事をやることになる。
以降、畑で野菜を栽培することが生活から切り離せなくなっていくが、農作業のたいへんさ、有機栽培というものが不可能に近いほど難しいことなどを体感し、農業従事者への尊敬を募らせていく。

反して、食物がどのようにして食卓まで来るのかをイメージできない子供たちにとっては、じゃがいもの観念なんてポテトチップのように薄っぺらいものではないか。子供たちには、必ず畑仕事を体験させるべきだろう、と言う。

そして結び。以下引用。

「海岸の生活は時には、貨幣経済以前という感じもした。農家の人が野菜をくれる。最近の農村では、規定の箱より長かったり大きかったりするダイコンやキャベツは、市場に出せない。私たちがもらって感激する。農村につながっている生活は、ほんとうに安くあがる。」

「もうずっと以前から、農村は人手不足、嫁不足だった。農村で働きます、と言えば、手伝ってほしい家族はどこにでもいた。しかし若者たちは土との暮しを嫌い、都会でフリーターやニートになり、今、職を失った。
 その人たちが、やっと土に帰ってもいいと思い始めたという。そうなって欲しいものだ。」

「 長年の素人農民として思うのは、たった一つのことだ。農業は人間の基本に繋がる見事な職業の一つだ。(略)以前から私の中に定着しているのは、農業に従事する人への深い尊敬である。天皇陛下は毎年長靴をはいて田植えをなさる。こういう国は世界にほとんど例を見ない。この精神が日本を強くしていると思う。」


このハナシには二つの気づきがあった。


●感じたこと「体験的真実」と僕らの脆弱性

「農業を体験すべきだ」というような、「体験的真実が生を形作る」という考え方はとても正しいと思う。体験的真実として(笑)。

作者が言うところの都会の子どもだった私自身としても、漫画やテレビのみが情報ソースになっている知識の脆弱性を体験している。物事は、挑んで苦労が身にしみて、はじめてその流れが体得できるものだ。

作者が言うとおり、農業が「食べること」すなわち生そのものにつながっているのであれば、確かに農業を体験せずに堅固な生の観念を身につけることはできないはずだ。
ボクと同じく都会育ちっ子は、虫がダメで野菜が嫌いで、コンビニの味に慣れていてジャンクフードが好きで、ダイエットコーラみたいなワケわからんものを飲み育っている。ここの脆弱性をみるのは簡単だものね。


●感じたこと「農村回帰」

これが本題!!!

若者が農村に帰るべきなんじゃないか、というハナシ。
・・・いや、とっくにこれを提唱している人はいるのでしょうが、(都会育ちのジャンクっ子の)僕にはこのアイディアは無かった。上記の(僕の)ような若者の頭には、80~90年代の就職イメージか、それ以降の、たとえばフリーターなどしか選択肢がないかもしれない。その彼らに、農村の生活というか、農業回帰を説くのはとても画期的だと思う。


派遣やアルバイト生活の若者たちは、都会の中でひたすら生活を切り詰め、カップ麺で節約しながらゲームに熱中する。ごちそうはマックだ。派遣切り反対運動で「マックに住ませろ」という主張があったそうだがそれを物語っている。

派遣切り騒動におけるジリ貧ぶり、というか出口の無い絶望感の理由は、貨幣以外には生活手段の無い【都会型生活に目が向いている】ことだ。

麻生さんが「オシャレな仕事は安いからな」と言っていたのは正しいと思う。オシャレな仕事はあまり生と直結していないから、不景気になると途端にあおりを受ける。おしゃれでチープな生活、これは日本ではジャンクになってしまう。

以前、とある日系ブラジル人の知人と話していたのだけど、南米人が基本的に鷹揚なのは、まあジャングルに行けば少なくとも何か果物がなっていて、すぐに餓死することが無いからだ、と言っていた。沖縄で無銭生活をする話や、戦時中に生き延びる方法論などを総じても、ようするに生きていくには海と農村、つまり食料の供給源に近い必要があるんだ。

これは日比谷公園に集まっている場合ではない! 行政は農村への就業ルートを整備し、兼業農家や休眠状態の田畑にガンガン就労させるべきなのではないだろうか。
たとえ月収が5万円でも、目の前にすばらしく新鮮な食料が豊富にあるなんて、この希望に満ちた生活はどうだろう。
電機系やIT系の大企業のオフィスでは、ワークシェアリングなんて非現実的だと確信されている。
システム化が進んだ企業では、もはや短い時間だけ働いて意味のあるような仕事はほとんど無い。専門性が高く、スキルレベルや判断力の高い人間に仕事は集中し、残りはリストラされる。むしろワークシェアリングとは逆の態様になりつつあり、そうでなければ生き残れない。

しかし、ワークシェアリングはなるほど農業でこそ実践できるのではないかと思った。兼業農家や休眠中の農家に手伝いに行き、給与は少ないけどご飯は一緒に食べる。
午前中だけ畑仕事をして、午後は資格の勉強する、なんていうライフスタイルはどうだろうか。

現在世界が直面している恐慌は、資本主義はもちろん、貨幣経済の限界をも示しているわけで、これでは本当に餓死者を何万人も出しかねない。

しかし、食料自給率を少しでもあげて、鎖国していても生きていけるようにしたらどうか。日本経済全体の中でトヨタやソニーの貿易への依存率を下げれば、アメリカの経済危機に振り回される比率も少しは下がるというものではないだろうか。

(今、困っている)若者よ、農村に帰ろう!
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