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スーパーヒーローについて [映画・ドラマ・アニメ]

先週後半からSo-Netブログがメンテで止まってしまったため、なんだか書くことが溜まってしまった。

サクラコがDVDで買ってきた「Mr.インクレディブル」について。
サクラコはこの映画を単身で旅行したグアムからの帰りの飛行機の中で観たそうだが、
ラストシーン直前で成田に到着してしまい、エンディングがわからない」
とのことで、腹立ちまぎれに買ってきたとのこと。
飛行機ってこれがあるよね(笑)

Mr.インクレディブル

原題は The Incredibles、つまり「インクレディブル一家」または「インクレディブルなヤツラ」。
邦題ではMr.をつけて、ヒーローものとして分かりやすくしているが、本来のタイトルは最初から家族全員が主役であることを示している。

さてこれ、たいへん面白かった。

脚本も練れているし、DREAMWORKSの映像もストーリーにたいへんよくマッチしている。表現も緻密。テーマは突き抜けてアメリカ的であり、悪びれがない。セリフもストーリーもわかりやすく、裏がない。
デキの良い、エンターテインメントとしては一級品の映画だと思う。

テーマの一つはスーパーヒーローについての考え方。スーパーヒロイズムとでも言おうか。これは昨今の「スパイダーマン」「バットマン」「X-MEN」「デアデビル」などでも明らかなとおり、現在のアメリカ映画界における一つの最重要テーマなわけだ。
X-MENはあんまりそうでもないが、多くのスーパーヒーローものは、超人的な能力に反して人間的な部分で苦悩したり暗い過去を引きずっていたりする(日本のスーパーヒーローものはもっと暗い)。だが、インクレディブル一家は<正体を隠す>こと以外ではワリと能天気である。「スーパーヒーロー」を肯定的に捉えているし、テレビや警察と協力して公明正大にスーパーヒーロー業にいそしんだ過去などが示すとおり、殆どスーパーヒーローにあこがれる子供と変わらないポジティブさである。

ところが、この「スーパーヒーロー大好き」な感覚は諸刃の剣である。この映画の悪役シンドロームは、行過ぎたスーパーヒーロー憧憬のために、本末転倒して悪に走り、Mr.インクレディブルに立ちはだかるわけだ。

ん?どこかで聞いたことがあるような話…

と、思ったら、ブルース・ウィリス主演、M.ナイト・シャマラン監督の「アンブレイカブル」も実は同じモチーフなんだということに気づく。「アンブレイカブル」という映画は僕としては認められないのだが(理由省略)。
ここから先はネタバレ含みます。

シンドロームやアンブレイカブルの彼(誰かはネタバレするので書かない)の行動は、俗に「マッチポンプ」(=自分で火をつけて自分で火を消す、狂言的な行動)なわけだ。
愛着が人を惑わせるとは言うが、本末転倒してしまうことというのはあるよねえ…なんて思ってたら。

まさしくマッチポンプなヤツを発見した。

http://azoz.org/archives/200506211107.php


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「ブレードランナー」を再見して思うこと [映画・ドラマ・アニメ]

ブレードランナー完全版

10~12年ぶりに再見した。その10年余の間に、本当にさまざまなSFが発表されたから、かつて観たときとまた重みが違って面白い。82年にこれが公開されたことで、世界中のSF表現が変わったんだなあということが改めて認識された。SFは人間の科学的・知的想像力の所産、宝だと思う。

さて「ブレードランナー」、ストーリーも整理されているし、キャストもいい。レプリカントは美しいし、美術はこの上なくユニーク…というかその後の様々な作品の礎になったマスターピースだ。アクションもいいし、ユーモアもある。ラストでちょっとしたミステリーがあったりとサービス精神も旺盛。わざわざイチャモンをつけるとするならば、レプリカント達はもっとカンタンにハリソン・フォードを殺せたはずだというところと、「ベテランの殺し屋」としてのハリソン・フォードの優位性というか「凄さ」があまり描かれていないというところか。レプリカントたちにキャラが負けっぱなしというか。ハードボイルドではあるけれどね。

見直して思ったことが一つ。
そういえば、2001年頃盛んに話題になっていたクローン人間談義はどうなったのだろう?9月11日のテロがあってそれどころではなくなってしまったが、確かにあの頃、ザボス(米国)とアンティノリ(伊)というマッドサイエンティストがクローン人間を作る宣言をして物議を醸していたはずだ。

クローン反対論者の私としては、「アホ科学者は『ブレードランナー』を観ろ!このバカ!」と息巻いていたのを思い出した。人が人の為に作ったもの…という意味では、アシモフはロボットについて考え、フィリップ・K・ディックはアンドロイド(ブレードランナーでは「レプリカント」)を掘り下げたわけだが、双方ともにたいへん悲しい物語を描いている。クローンはそれらとは明らかに違うが、それでもそれらに類した悲劇は充分に起こりうることなのだ。悲劇とは即ち、自然な成り立ちではないということの劣等感。差別。階級闘争。
「人工授精と何が違うのか?」などという小ざかしい理屈が衆愚に通るのであれば、部落差別も人種差別も何も起きない。そもそも差別というものは理屈が通らないものなのだ。知的でないことにより生じるもの。そしてそれはクローンが一般化すれば絶対に生じると思うよ。
それだけではない。人口的に作られたものが、正しく両親に愛情を注いでもらえない可能性。遺伝学的にみて最初から片親を約束されるというシステムは、いずれ人間社会の在りようを揺るがすでしょうよ・・・。
たとえば自分達の子供を幼くして亡くした両親の痛みは想像を超えるでしょう。しかし、それを「死んだあの子のクローンを作って!」という代替行為で埋めると言うのは、オリジナルにもクローンにも失礼というものだ。クローン問題の根幹にあるのは、自分や自分の子として既定の存在のコピーを作れという都合の良いエゴだ。それはダメだよ。


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DEEP BLUE(ディープ・ブルー) [映画・ドラマ・アニメ]

週末に、ウワサの「DEEP BLUE」を入手した。

DEEP BLUE(ディープ・ブルー)

(ご存知の方はご存知で、知らない人は全く知らないと思うが)「DEEP BLUE」というのはイギリスのBBC(ドキュメンタリーが得意なイギリスが誇るアカデミックなテレビ会社だ)を中心に作られたドキュメンタリー映像映画で、「青い地球、その7割を占める<海>を、とてつもない労力をかけて撮影したものだ。
イメージとしては、「生き物地球紀行」の海しばりと考えれば大きな誤解にはならない。ケーブルやCSなら、Discovery Channelが近いだろうか。ナレーションは最小限で、ドラマ的演出は殆ど加味されていない。映像そのものと、音楽だけ。
音楽は、なんとベルリンフィルハーモニーが初めて映画用に演奏している。
感動の超大作!ということでウワサになっていて、DVDを買おうと思ってもあちこちで売り切れており、ようやくヨドバシカメラで入手したというわけだ。

上にも挙げたように、動物関係のドキュメンタリーというのは過去にもイギリスやオーストラリア、アメリカの制作会社が度々制作しているし、なにがそんなにスゴイの?と思って観てみたら驚いた。スゴイ。

とにかく驚くべきはその映像である。「どうやって撮ったの?」のオンパレード。肉眼ではどう頑張っても観られないという映像が満載だ。というか、肉眼では観たくない過酷な映像も多い。ネタバレを控えるので詳しく説明できないが、地球では相当に過酷な環境で生きている生物のなんと多いこと!そしてそれを撮影するということの難しさは想像を超えているだろう。
たとえば、別々に撮影しているハズの二つの生き物が「出会う」ところなどは偶然性に頼らねば撮影できないわけだから、こうして我々が映像として観ているのは気の遠くなるような労力の氷座の一角であることがわかる。

さらに驚嘆すべきはその映像の「美しさ」。これも、ひょっとしたら肉眼で、生で見るよりもハッキリ見えているのでは?と感じるほど鮮明で、美しい。ダイビングをして見える景色よりも、光を当てて撮っているため、色も鮮明である。海はこんなにも透明なのか?とにわかには信じられない映像が続く。4~50mの視界があれば透明度としては最高レベルとされる中で、そのくらいの距離の生き物達を鮮明に捉えている撮影精度には本当にビックリする。

我々人間は、何千年かをかけて、時に自然を壊しながら、快適に安全に暮らす環境を作り上げてきた。法律によって暴力を可能な限り排除してきたし、食べ物だってきちんと順番を守って食べる。
しかし、生物が生きていることというのは、ただそれだけで苛烈なものである。我々のぬくぬくと安全な環境では到底共感できない程の峻烈さだ。それは、この映画に二度に渡って<悪虐の限りを尽くす>海のギャングスター「シャチ」達の狩りの映像で否応なく肝に銘じさせられる。数少ないナレーションの中で、「死と再生が繰り返される」というようなフレーズがあったが、これは全編に本当によく描かれている。世界観が変わるかもしれないほどの説得力。
この世界観を言葉で語るのはとても難しい。そういう意味で、この「ディープ・ブルー」は本当に貴重な映像だ。

※蛇足ですが、シャチは「宅間守(大阪・池田小学校で小学生8人を殺害した犯人。極悪な人格で知られ、傷害・強姦など日常茶飯事だったとのこと)」よりも怖い!
海で一番恐ろしいのはネコザメやホオジロザメなどかと思っていたが、その知性やサイズから言ってシャチの方が恐ろしいと思ったよ…。


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「下妻物語」と「ゼブラーマン」 [映画・ドラマ・アニメ]

いつもTSUTAYAで貸出中になっている「下妻物語」が一本だけ残っていたので、(とくに見たくもなかったのだが)借りてみた。
観てみるとこれがたいへん面白かった。人気があるのも頷ける。

「ロリータファッション命!」の個人主義者:桃子(深田恭子)と、なぜか桃子にコミットしたがるレディース暴走族のイチコの心温まる友情ストーリーである。
それはもう絶望的に「北関東」な世界で、とにかく「服はジャスコだべ!」「特攻服は命だからよぉ!
」と見ると「御意見無用」が「御意見無様(ぶざま)」になっていたり。30分に一本の電車で取手まで一時間、そこから小一時間かけて上野、上野から乗り継いで(どういうルートだろう?)代官山のロリータショップまでやってくる。
そんな冒険。

さて、この作品を撮った監督は中島哲也という人だが、この人は実はCMディレクターとしてたいへん有能な人だ。
豊川悦司&山崎努が温泉卓球でマジ対決する「サッポロ黒ラベル」のCM。NTT東日本のSMAPの「ガッチャマン」。「写ルンです」で樹木希林・長瀬のCM…などを撮っている人だそうだ。「サッポロ黒ラベル」「ガッチャマン」は未だに鮮烈に記憶されているであろう、スーパーCMで、その強烈な演出的実力がうかがい知れる。

個人的な見解では、サッポロ黒ラベルのCMは、「ニヒルであやふやでピーターパン症候群的な90年代」から「ハッキリとポジティブ、熱血がカッコイイ21世紀」に国民の嗜好がシフトしたことを象徴していると思っている(笑)。本当にあのCMを見たとき、「あ、時代が変わったな」と思ったものだ。で、「ガッチャマン」を見たときに、「こりゃあ本当に<過剰演出>の時代が来るな」と思った。その後、「少林サッカー」やアメコミヒーローものがメディアを席巻していったことを考えると、その感覚はまったく外れていなかったと思う。

ま、そんな監督が撮ったわけだから、過剰演出的であることは容易に想像できると思う。
そういうつもりで楽しめればよいと思う。バカバカしいといえばバカバカしいけど。

それ以外にも見どころは沢山ある。キャストたちのキャラはよく立っている。

狂言回しの桃子(深田恭子)のコケかた。その鈍重なコケ方にはリアリティが宿っている。
イチコこと土屋アンナはたいへんカワイイ。幼少期のシーンなどでもそのカワイさは光る。涙のシーンも漫画のようだ。
道端で泣きながら女の子が歩いているといきなり説教してくるレディースには小池栄子。異様にハマっている。この人の今までで最高のはまり役かもしれん・・・
レディースのヘッド役で出てくる矢沢心のチョイ役ぶり。
そして最近ドラマでもすっかり熟練してきた篠原涼子の出産ぶり。
あと、なぜかオーブレネリを絶唱するパパ役に、われらが先輩・鮎貝健。

てなカンジ。

「ゼブラーマン」

そういえば、最近観た映画の中に「ゼブラーマン」があった。
ヤングサンデー誌上で漫画版の方が連載されていて、ちょっと読んだらたいへん面白かったので借りてみたというわけだ。

哀川翔主演の映画で、不思議なB級感あふれるヒーローものである。これは「ヒーロー」と「情けない父親」の2面性、ギャップが大切な設定で、そこは非常によく描けている。「街がヤバイことになっている」という超テキトーな、全く論理性を欠いた不気味感はイイ味だ。衣装もなにげにカッコイイ。
しかし、SF設定は「子供が書いたのか?」と思わせるほどメチャクチャで、クライマックスのCGもショボイ。「飛ぶ」ことに関する設定も弱いのであんまりカタルシスも無い。
ま、そのあたりがとにかくB級である。

しかしそれでも、これを観たいと思うような人にはそれなりに楽しめると思う。

デビルマンよりは500倍マシとだけ書いておく。


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